遺体 - 震災、津波の果てに

単に遺体の悲惨さを描いたものではなく、それと向き合った地元の人々の様子を描いたドキュメンタリ。
一枚も写真がないのに、ただ文章だけでその場の匂い、寒さ、辛さ、やさしさを伝えるのはすごいと思う。
しかも、書き手の感情、意見がほとんど入っていない。だからお涙頂戴にもならないし、無理やり感情を持っていかれることもない。ただ、淡々とそのときの様子をインタビューからひろって書いている。

普段遺体なんて見慣れない人の中にあって、遺体に声をかけ続け、探しに来た遺族の悲しみを和らげる元葬儀屋のボランティアのおじさん、まわりで遺族が泣き崩れる中、淡々と死亡診断書を仕上げてゆく医師、自らも被災し、どれだけ役に立つかわからないと自問自答しながら遺体の歯型を調べる続ける歯科医師、何十体という遺体に対して祈りを続ける僧侶、普段の仕事とは関係ないのに毎日のように遺体を搬送する市役所の職員などの体験談が綴られている。同じ町の人間だから当然遺体の中には知人がいる。そんな中で彼らはどのようにして死を受け止めるのか。そんな身近な人の死を受け入れてからでないと復興なんて始まらないのではないか、と筆者はあとがきで書いていた。確かにな。。。 死というものをいろいろと考えさせられた。

Itai.jpg

本題とは違うけど、現代の日本人は「死」と向き合う機会を奪われて久しいのではないか。
わたしが子供の頃は、どこでも家で葬式を出していた。葬儀場で葬式をするなんてことはなかった。
今は、死ぬのも病院だしね。家で死を迎えることもない。死はどこに行ってしまったの?見えないが故に人は死を恐れるのか。こんな状況で、いざ「死」に直面せざるを得なくなったとき、人はやっぱりおののき、戸惑うのはしょうがないのか。

インドでは、今でも聖なるガンジスで沐浴もするが、その同じ聖なる河を遺体も流れていくという。それくらい「死」がすぐそこにあるんだろう。だから、死は恐れるものでなくて、ただそこにあるものなのかな。一本の紐のように一端が誕生、もう一端が死なのではなく、一巻きの輪の始まりが誕生で、そのすぐ隣が死、という考え方の方が自然なのか。輪廻ってのは違うか。死は終わりではなくて、誕生の前に過ぎないのか。

な~んて、わかったようで、じぇんじぇんわかってないか。いい本だったなぁ。
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